現実と想うの狭間で
凡人のままでいるのは悔しい!!!
でも、天才の伝記を読んでいると、ハリセンボンを飲み込んだほうが楽なんじゃないかと思うほど過酷
そんなに苦しい事なら凡人の方が良いな
そう思うけど、よく考えてみたら天才たちは、したいから、好きだから、できるからやっている。周りに罵倒されようが、ルールを破ろうが、道徳に欠けようが
そこに、自分には絶対出来ない事への憧れをもってしまうのは仕方ない
でも、普通に悪い事だと思ってしまう。
あんな人にはなってはいけない。どんだけ天才になれたとしても人の道を踏み外したらおしまいだと思う。
ルールを守らないやつは絶対の悪だ
世界の灰汁だ
しかし、そんなルールもその時のお偉いさんが作り出したものだ。良い悪いで、正義と悪で考えたと言うより、その人たちが得するか損するかで考えたのかもしれない。
もしそうなら、そのルールを守っている凡人の方が悲惨で過酷なのでは?
とも思う
したくもないことを不安、恐怖、生きるためだけにやっている。みんなが見てるから、みんなと同じように、ルールは守らないといけない。
凡人の方が実は苦しい人生、虚無な人生を送っているのではないか?
だが、凡人も良い事はたくさんある。友達と遊んだり、ゲームしたり、趣味をしたり、新しい出会いを求めたり、旅行をしたり
何気ない日々を幸せに感じたりできる。
天才はどうなのだろう?何気ない日々はあるのだろうか?毎日動いて、毎日考えて、毎日毎日、慌ただしい
ルールに縛られない自由、まるで野生動物だ。そのかわりハンターにいつ狩られるか分からない恐怖を日々抱えている。
ほっとひと息なんてことは、あるのだろうか?
じつは、そんなワタワタした日々が天才にとっての何気ない日常なのかもしれない。それが、幸せなのかもしれない。ほっとしているひと息が苦痛でならないのかもしれない。ハンターに狙われているのなんてどうってことない、気づいてもいないのかもしれない。
そう考えるとくやしい、くやしい、くやしい
だって、同じく幸せを感じれて、苦しさも感じれて、それなのに天才は歴史に名前を刻んでいける。
凡人はどうだ?名前なんて刻めない。良くて家系図に名前が残るかどうかだ。それも誰も見ない。だれも思い出してくれない。ホコリをかぶっていき、そのまま永遠に忘れ去られてしまう。
そんなのさみしい
凡人は、さみしい
でもまてよ・・・・
天才はどうだ?
天才は、人に理解されない。凡人も理解されないかもしれないが、天才はもっと理解されない。理解できるだけの考えを肉体を凡人は兼ね備えていないからだ。
理解されない、共感されないってどんな気持ちなんだろう?
それは、とても、孤独じゃないのだろうか?
天才の話に、かるく「ああ、わかるわかる」といえるだろうか?気軽に話しができるだろうか?
凡人には無理だ
それができるのなら、その人も天才だ
ああ、住む世界が根本的に違うのか
だったら、天才も凡人を理解できないだろう。天才から見たら、凡人は、ぐずでのろまで、のうてんきで、あたまふらふらで、なにもかんがえてなくて、のうてんきで、とにかくバカに見えるのだろうか?
それとも、それでも、すこし羨ましいともおもうのかな?
あんな風に何も考えずに楽しそうにできたらいいのになとか思うのかな?
こんなアタマいらないとも思うのかな?
下品な話して、笑い合えたらいいなとか思うのかな?
結局わかんないな、わかんない
凡人ではいたくない。でも、天才になるのも気が引ける。みんなに期待されるのはしんどい。罵倒されるのもつらい。のほほんと出来ないのはもっとつらい。でも、ただただ生きて何も残さず朽ちていくのはさみしい、くやしい、なにか残したい。
残したいなら、行動すればいいじゃないか!と人は言うのかもしれない。
不快だ
漫画のヒーローじゃない
出来るまでやり続ければいいなど思えるわけもない
それを出来るのが、天才だ
けっきょくなにも、わからないな